「気にすべきこと」  04.02.15
               ルカ12:54〜59

 主は、ご自分の前に集まっている群衆に対して、「どうして今の時を見分ける
ことを知らないのか」と嘆かれます。人々は主の力ある業の数々を知って、
主に期待をしていましたが、主が命がけでなそうとしておられる事柄を、まだ
理解していなかったからです。
 主はその時、訴えられた者が仲直りをする話をされました。それによって、
ご自分が、私たちと神さまとの関係を回復させ、私たちを滅びに投げ込まれ
ないようにする者であることを示されました。

 Uコリントには「今は恵みの時」との言葉があります(6:2)。その恵みとは
「神が、私たちの罪を問うことなく、主イエスによって私たちをご自分と和解
させてくださり、永遠の命に入れてくださったこと」(Uコリ5:18.19.21)と語ります。
 本来、人は神さまに背く罪ゆえに、訴えられ、牢に投げ込まれるものでしたが、
主は、私たちをそうならない者にしてくださったのです。聖書は、そのような
私たちのことを「新しく創造された者なのです」と語ります。主は、そのために
十字架にかかってくださいました。それこそ主がなさった最大の業です。

 永遠の命ゆえ、その恵みは私たちの地上での生涯を突き抜けていく恵みです。
生きる時も死ぬ時も私たちを捕らえて離さない恵みであり、この世で得られる
どんな幸いよりも大きく、朽ちない恵みであり、また幸いなのです。
 私たちは、明日の生活に影響を及ぼすことには敏感になり、見分ける知恵を
持っていますが、永遠の命を左右する主の業に対して鈍感になることが多いのです。

 主は、天気のことを話されながら、予想したことがその通りになると、繰り返し
語られました。それは、ご自分の恵みの業によってもたらされる救いの確実さに、
私たちが目を止めるためです。

 私たちは、その確かな救いの中で地上の生活を送っている者です。
その永遠の救いの確かさがあるから、困難があっても希望を持ち続ける
ことができます。救いの確かさに励まされ、力づけられながら、神の民として
進んでいけます。